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最高裁判所大法廷 昭和43年(あ)1101号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を福岡高等裁判所に差し戻す。

理由

検察官の上告趣意第五点について。

所論は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

しかし職権をもつて調査するに、原判決は、「もともと旅費の問題は昭和三二年四月一日から施行された同年法律第一五四号一般職の職員の給与に関する法律の一部を改正する法律による国家公務員の俸給表改訂に伴い同法付則第二八項により旅費法の一部が改正されて、旅費法改正前は二等旅費適用資格者であつた五級職以上七級職以下の者及び改正時二等旅費適用資格者となるべき者が新俸給表により七等級に格付けされたため三等旅費の支給があるにとどまつたので、その結果の不合理が指摘されて、中央で農林省に全農林労働組合との間で交渉が重ねられ、昭和三二年一〇月三等旅費適用者にも運用で二等旅費に近い金額を支給するよう取扱うことの了解に達し、各地方でもこれにならい、長崎統計調査事務所においても、当時の松浦所長と全農林長崎県本部との間に労働慣行(14)項のとおりのとりきめがなされて運用されてきたものであることは原判示のとおりである。」と認定したうえ、右国家公務員等の旅費に関する法律(以下、旅費法という。)の一部改正を含む前記給与法の改正法律が成立した際右改正旅費法中現行より不利益となる部分については十分考慮することとの国会の付帯決議のあること、右労働慣行(14)項の趣旨も中央交渉の結果を出るものとは認められないこと等から、直ちに「旅費法による三等旅費適用者も運用面でその差題を支給する」とのいわゆる労働慣行(14)項は旅費法違反のとりきめであるとは、断ずるをえないと判断している。

ところで、(一) 第一審証人佐田建祐(記録五冊、二〇一五ないし二〇一七丁)、同田上弘(同五冊、二〇八一ないし二〇八四丁)、同河口秀夫(同四冊、一七四三丁」らは、いずれも中央の労使間で右趣旨の了解が事実上成立した旨を供述し、ことに証人江田虎臣は、第一審において、「昭和三一年旅費法の改正のとき、従来の四級職以上が二等旅費をもらえたのを七級職以上でないともらえないというふうに改悪され、そののちの改正のさい、国会で新俸給表で七等級になつた場合でも二等旅費を支給しなさいという付帯決議があり、これが決官通達で確認され、その結果組合は昭和三二年一〇月ころ大臣官房経理厚生課長であつた家治課長と団交をし、話合いがつき、われわれはこれを『家治通達』とよんでおり、第五回中央委員会にも報告し、なお全農林はこの趣旨の『連絡四六号』を各県本部に流した。」旨供述している(記録五冊、一九二四ないし一九二七丁)のであるが、しかし、証人家治清一は、原審公判廷において、「自分は昭和三〇年一二月五日から同三一年六月までは農林大臣官房経理厚生課長をしていたが、同年六月から同三三年までは林野庁林政課長をしていたので、本件の旅費問題で中央執行委員の江田氏との間で了解事項に達したことも、とりきめもしていない。まして、その問題で『家治通達』なるものを流したこともない。」旨を供述する(記録一一冊、四〇七三丁)ほか、訴訟関係人から指示された昭和三一年六月二日付農林新聞中の写真についても、「そこに自分がいるかどうかわからない。」と説明し、さらに同月四日付農林新聞の記事についても、「それは『日額旅費規程』に関するもので、旅費法のことで交渉したことがない。」旨をくりかえし供述している(記録一一冊、四〇八〇丁)。そして、証人江田虎臣は、原審において、これまで「家治通達」があつたとしていたのは、自分の記憶違いであつたとして、第一審でした供述を訂正しており(記録一一冊、四三一三丁)、また所論国会の付帯決議も一〇項目あるうちの第七項として「改正旅費法中、現行より不利となる部分については十分考慮すること。」というものであつて、証人江田虎臣が説明するようなものではない。右のように、「家治通達」が存在しないことがわかり、なお当時各県下に流したという「連絡四六号」がいまだに発見されない以上、原判決のいう中央での了解が成立していたかどうかは、きわめて疑わしいものがあるのである。

(二) つぎに、旅費法は、昭和三一年五月一日法律第八七号(同年六月一日施行)によつて改正され、従来二等運賃の支給を受けていた四、五、六級職の者が三等運賃を受けることとなり、ついで昭和三二年六月一日法律第一五四号一般職の職員の給与に関する法律の一部を改正する法律(遡つて同年四年一日より施行、以下、新給与法という。)付則二八項により、給与体系の改定と相まつて旅費法も一部改正され、新たに六等級以上の職員は二等運賃を、七等級、八等級の職員は三等運賃を支給されることとなつたが、人事院の行なう職員の格付け作業により旅費法の運用上一部の職員が不利益となるのではないかと憂慮された結果、右法律第一五四号新給与法の審議の際、昭和三二年四月一六日前記のような内容の国会の付帯決議がなされるにいたつたのである。そして、この付帯決議は、その第一項に「一般係員で現在六級以上の者は、原則として、行政職俸給表(一)の七等級へ格付することと。」とあるのと対比すると、従来昭和三一年五月一日法律第八七号旅費法によれば、二等運賃を支給されていた一般係員で六級以上の者たとえば七級職の者の一部が新給与法上六等級に格付けされ、一部が七等級に格付けされたため、六等級に格付けされた者は依然二等運賃の支給が受けられるのに七等級に格付けされた者は三等運賃しか支給されなくなるという不利益をこうむることを考慮した経過的なものと解されるのであつて、証人江田虎臣の供述(記録五冊、一九二五丁、一一冊四三〇八丁)に徴すれば、大蔵省では右の国会の付帯決議に基づき職員の等級決定までの暫定措置ないし経過的取扱いとして通牒(昭和三二年七月三一日、蔵計第二四五六号)を発し、右付帯決議にそう措置を講じていることが窺われる。

ところで、このような不利益の発生は、給与体系の改定に伴う一時的な現象にとどまり、改定時七級職の者でたまたま七等級に格付けされた者も間もなく六等級に昇格され、二等運賃の支給を受けることとなると解されるので、旅費法改定時から四年以上も経過した本件紛争の昭和三六年一〇月当時にいたるまで昇格されることなく七等級に止まつた者が被告人らを含む農林省長崎統計調査事務所の職員の間に残存していたかどうかは、証拠上これを窺い知ることができない。

以上によつてみると、農林省と全農林労働組合との間にいわゆる労働慣行(14)項のような話合いがついたことを前提とし、かつ、本件争議当時にも農林省長崎統計調査事務所の職員のなかに前記給与体系の改定に伴う不利益をこうむつている者が果して現存しているかどうかも確定しないで、本件の労働慣行(14)項の継続実施を要求することをもつて旅費法違反のとりきめと断ずるをえないとする原判決には、事実を誤認しあるいは審理不尽に陥つた違法があるというべきであり、この誤認ないし違法は、原判決に影響を及ぼし、これを破棄しなければ著しく正義に反するものといわなければならない。

右の点で原判決を破棄すべきものとする以上、その余の違憲の主張については判断すべきものではないので、これを省略し、刑訴法四一一条三号、一号より原判決を破棄し、同法四一三条本文により、さらに審理させるためこれを福岡高等裁判所に差し戻すこととし主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官色川幸太郎、同天野武一の各補足意見、裁判官石田和外、同下村三郎、同村上朝一、同藤林益三、同下田武三、同岸盛一の意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官色川幸太郎の補足意見は、次のとおりである。

一原判決は、本件争議の中心問題は 旅費支給に関するいわゆる労働慣行(14)項であり、本件争議行為も、これを撤廃しようとする早水所長に反対し、右の慣行すなわち勤務条件を維持するためになされたものであるが、この争議目的をもつて、「直ちに法律違反の要求をしようとするものとし違法なものであるとは断ず るをえない」としている。しかしその根拠としているところには事実誤認の疑があるのみならず、その上重要な事実につ き審理不尽の違法のあることは多数意見の指摘するとおりである。しかし、原判決にはその他にもなお審理を尽くさざる ところがあり、私は、以下に述べる点についても、その存否いかんを明らかにするのでなければ、本件争議行為が違法で あるか否かの評価はできないと老える。

二まず、旅費法改正の経過及びこれ に伴う中央交渉ならびにいわゆる了解の存否について、一件記録、特に証拠物等 にあらわれているところを検討してみた い。

(イ)昭和三一年六月四日付の全農林 労働組合(以下単に組合という。)の機関 紙「農林新聞」には、六月一日に農林当 局(家治経理厚生課長)から次の回答が あつたと題し

「原則的に六級職アンバランスである ことは判る、だが実行上これを直すこと はいえない。併し出張で足を出させるこ とはできない。足を出させないように考 慮したい。特別に違法とみなされないも のについては了承する。この点について 各局から問い合せがあつた場合と同様に 回答する。」(原文通り、以下同じ。)

という記事がある。右にいう改正とは 昭和三一年五年一日法律第八七号によ り、従来二等運賃の支給を受けていた 四、五、六級職の者があらたに三等運賃 待遇となつたことを指すものであるが、 右記事が真実を伝えたものであるとすれ ば、当局側が、組合の要求を容れ、運用 によつてその不利益をカバーすることを 暗黙裡に了解した意味にとることができ る。そして右回答の時期において、家治 清一が記事に示す職にあつたことは、同 人の証人としての供述にも出ているとこ ろである。

(ロ)つぎに昭和三二年六月、給与体 系の改正に伴い、再び旅費法の改正があり、七等級に格付けされた者は、三等運 賃待遇に格下げとなる結果となつたの で、国会でも付帯決議がなされたわけで あつたが、この点に関係のある組合側文 書(いずれも証拠調ずみ)を見ると次の ようである。

最初に、同年七月に開催された全農林 第七回大会における「一般経過報告」な る文書を見ると、「今年度の給与改訂に ともなう旅費法改悪」については、「従 来通りの運用で行う。従つて出血出張は させない。旧七級以上は二等で運用し実 質的に既得権の剥奪にならないようにす る点でおおむね了解にもち込んだ」とい う記載があり、また、同年一〇月の同組 合第五回中央委員会における「経過報 告」書中には

「全農林は大蔵通達前後から、農林省 における運用について直ちに交渉に入り 十月、次のような方法での運用を決定、 妥結した。

① 行政職俸給表(一)七等級以下の職員 (その俸給表については、大蔵運用方 針において行政(一)七等級に見合うと指 定されている等級号以下) について は、運用で二等旅費に近い額(二等相 等額)を支給するよう部局、場所を指 導する。

② 旧七級職については国会の付帯決議 もあるので二等を支給する。

以上の点については、中央における点検と併せて、職揚からのまきかえし で実施させなければならない。」

と述べている。そのほか、「秋季年末 闘争の集約と春季闘争の構想」(同年一 二月二三日付)という組合本部発行の文 書には、

「(ホ)旅費法改悪反対も七等級の不満 を組織して旧七級職は二等、その他は運 用で二等旅費の近似値を支給さす事に成 功した」という記載があり、また、全農 林指令第九号「春季闘争方針」(昭和三 三年一月二四日付)には「この既得権剥 奪に対し組合員の不満が結集され、闘い を進めた結果旧七級在職者は係長の職務 代行者として二等を支給さした。また従 来よりも旅費法の建前では三等でも運用 面で二等の近似値を支給さす確約をとつ ていたが、必ずしも全職揚に浸透しなか つた。根本的には運用面で解決しないの で二等旅費を支給するよう旅費法の改正 (法一一四号)を要求する」という記載 があるのである。

(ハ)以上の文書内容と証入佐田建祐 の供述とを総合すると

(1) 組合側としても、国会の付帯 決議は、暫定的に不利益を受ける者、す なわち改定時七等級の者で七等級に格付 けされた者に関して適当な措置をとるよ う要望したものであり、それ以上のもの ではないと理解してはいたが、

(2) しかし組合の要求は、その線にとどまらず、七等級以下の職員(恐ら く全部でもあろうか。) について、運用 で二等運賃に近い額を支給せよというの であり、

(3) 結局、組合としては、農林当 局との昭和三一年の旅費法改正時におけ る交渉の「妥結」(但しこれは組合の見 方である。) にひきつづき、昭和三二年 の改正に際しても、右(1)(2)に示すような 条件で了解点に達したものであると受け 取つており、これを組合本部の正式文書 として、いくたびか下部に流したという のである(もつともこの点は組合側の証 人の供述に見られるにとどまり、原審で 認定された事実ではない。組合本部の文 書中連絡四六号と称するものなどについ ては文書の存在自体につきやや疑問があ る。)。

以上の事実を窺うことができないわけ ではない。

(ニ)もしそうだとすると、本件紛争 の際、なお七等級に止まつている者が本 件統計調査事務所に何人残つていたか、 を審理認定するだけでは十分ではないの であつて、同所では本件紛争以前におい て七等級以下の職員のいかなる者が、い かなる運用で、いかなる旅費を支給され ていたか、についても明らかにされる必 要がある。そしてまた、本件職揚で実際 に行なわれた運用なり、中央交渉にあら われたいわゆる了解のあつたという運用なるものは、必ずしも完全に適法な手続 によるわけでなく、あるいは、何らかの 姑息な手段が講ぜられていたのかも知れ ないが(その点は原判決には全く認定さ れておらず、記録からも窺うことができ ないのであつて、単に推測するのみであ る。)、仮にその運用が違法なものであろ うとなかろうと、組合の最末端の機構で あり、しかも本士の果の眇たる分会にお いては、組合員はもとより幹部ですら、 従来の旅費慣行を、中央交渉の結果であ る使用者の容認した合法的なものと考え ていたのではないか、少なくとも、しか く考える余地が多分に存するのである。

したがつて争議行為の違法性を論ずる にあたつては、それらの点につきさらに 的確な事実が認定されなければならない というべきである。

三さらに以下のことも指摘しておき たい。本件の争議行為は、一般私企業に おけるそれと比較しても、かなり粘り強 く(あるいは執拗と評してもよかろう。) 戦われているのであるが、これが組合員 の一部(それがどの位になるのか明らか にされる必要のあることは前述した。) にしか利害関係のない、旅費支給に関す る要求の貫徹だけを目的としたものだと すると、どこからそれだけのエネルギー が出てきたのか、常識上いささか理解し 難いのである。記録によれば、早水所長 の組合に対する態度にはかなり硬直した姿勢が窺われるのであるが、あるいは、 同人が従来の労務管理を一挙に是正しよ うとする熱意のあまり、あまりにも性急 な改革に乗り出し、組合との対立抗争を 激化せしめたものではないかと、みるべ きふしがある。そのためでもあろうか、 本件争議行為中における組合のスローガ ンには「職場民主化をはばむ所長独裁を つき破ろう」「所長の独裁を破り明るい 職場を守ろう」などのよびかけがあるの である。紛争の全経過と収拾結果の内容 などに照らすと、旅費慣行の維持擁護の ためだけでなく、争議行為の目的は、そ れと併せて、あるいは、むしろ主とし て、早水所長の労務管理方針に対する是 正への要求にあつたのではないかと考え られないでもない。もしそうだとする と、この点もまた、争議行為の違法性の 判断に対して、影響がないとはいえない のであるから、これにつき立ち入つた審 理を必要とすることもちろんである(い わゆる大浜炭鉱事件についての当裁判所 第二小法廷昭和二四年四月二三日判決・ 刑集三巻五号五九二頁参照)。

以上の見地に立ち、私は、多数意見に 付加して、上記の点に関する原審の審理 不尽を主張する次第である。

裁判官天野武一の補足意見は、次のと おりである。

私は、多数意見のうち、原判決を前記 の点で破棄すればその余の違憲の主張については判断すべきものではないとする 部分を除き、これに同調するものであ る。私は、原判決が被告人らの本件行為 を、共謀して国家公務員に対し争議行為 をあおつたという概念範疇にあたるとし ながら国家公務員法(昭和四〇年法律第 六九号による改正前のもの、以下国公法 という。) 一一○ 条一項一七号に該当し ないとしたのは、所論憲法の解釈を誤 り、ひいては国公法の右規定の解釈を誤 つたものであるがゆえに、この点におい てもまた原判決は破棄を免れないと考え るものであつて、その理由は、所論第一 点および第二点に対する石田裁判官らの 後記意見のうち、被告人らの所為が争議 行為の目的、態様のいかんを問うまでも なく、国公法の罰条に該当すること自体 明らかであるとして、多数意見の指摘す る事実誤認、審理不尽の点に関する判断 は省略して足りるとする部分を除き、こ れと同一であるから、ここに引用する。 そして、私は、本件争議行為の目的が旅 費法違反のとりきめの継続実施を要求し ていたものかどうかは、犯罪構成要件に 直接関連する事実であつて、その事実関 係のいかんは、行為ないしその責任の評 価に影響することが大きく、また証拠に 即して具体的な罪となるべき事実を正確 に確定することは、法令適用の前提をな すものであるから、原判決の事実誤認、 審理不尽の違法は、この点においても判決に影響を及ぼし、これを破棄しなけれ ば著しく正義に反するものといわなけれ ばならないと考える

裁判官石田和外、同下村三郎、同村上朝一、同藤林益三、同下田武三、同岸盛一の意見は、次のとおりである。

検察官の上告趣意第一点および第二点について。

原判決の判示するところによれば、被告人上野四郎は、全農林労働組合長崎県本部副執行委員長であり、同今村美千典は、同本部統計本所分会執行委員長であるが、国家公務員等の旅費に関する法律の実施等についての、いわゆる九・一通告(昭和三六年九月一日以降旅費の支給は従前の例によらず、旅費法どおり実施する旨の農林省長崎統計調査事務所長早水信夫の組合に対する通告)撤回闘争にあたり、昭和三六年一〇月一二日から同月二四日までの間(うち日曜日を除く)、農林省長崎統計調査事務所において、いずれも同事務所職員(全農林労働組合員)の職場放棄を指導する立場に立ち、約五〇名の職員に対し「当局より一日長く頑張ろう」などと呼びかける等して職場放棄とその継続を慫慂し、もつて共謀して国家公務員に対し同盟罷業を遂行させる目的でこれを実行する決意をさせ、またはこの決意を助長するような勢いのある刺激を与えたものであり、争議行為をあおつたという概念範疇に一応あたる行為をしたものである、というものである。そして、原判決は、国家公務員法(昭和四〇年法律第六九号による改正前のもの。以下、国公法という。)一一〇条一項一七号の罪の構成要件について、一面、争議行為が政治目的のために行なわれるとか、暴力を伴うとか、または国民生活は重大な障害をもたらす具体的危険が明白であるとか不当の性をもつ場合に、これをあおつたことを要するとし、たま他面、争議行為の非難可能性の程度がとくに微弱なものについては、争議行為に直接利害関係のない第三者があおつたこと、あるいはこれと密接な利害関係を有する者が通常行なわれるような手段、方法、程度を超えて激越な方法であおつたことを要するとして、かかる両面からのいわゆる限定解釈を加えたうえ、その限りにおいて国公法一一〇条一項一七号は憲法二八条、二一条、三一条に違反するものではないとの判断を示し、この観点から、本件争議行為は右のような不当性があるものとは認められず、また被告人らの具体的行動は争議行為に通常一般的に随伴し、これと不可分の関係にあるものと目せられると判断して、被告人らの本件行為は罪とならない、としたものである。

しかしながら、国家公務員の争議行為およびそのあおり行為等を禁止した国公法九八条五項は、文字どおりに解しても、憲法二八条に違反するものではなく、また、この禁止に反する違法な争議行為をあおる等その原動力となる行為をした者につき刑事制裁を規定した国公法一一〇条一項一七号の罰則は、何らいわゆる限定解釈をしなくても憲法二八条、三一条に違反するものでないことは、本判決と同日言渡の当裁判所大法廷の判決(昭和四三年(あ)第二七八〇号)の示すとおりである。したがつて、原判決のように、国公法一一〇条一項一七号の規定が、政治目的のために行なわれるとか、暴力を伴うとか、または国民生活に重大な障害をもたらす等違法性の強い争議行為を違法性の強い行為によりあおる等した場合に限つて、これに刑事制裁を科すべき趣で旨あると解し、また、同条項が争議行為に通常随伴し、これと同一視できる一体不可分の行為を処罰の対象としない趣旨であると解することは、かえつて、犯罪構成要件の明確性を害することになり、憲法三一条に違反する疑いがあるものというべく、また、国公法の解釈上もこれを是認すべき根拠がないこともまた右大法廷判決において説示したとおりである。それゆえ、被告人らの前記行為は、争議行為の目的、態様のいかんを問うまでもなく、国公法の前記罰条に該当することが明らかである。してみると、所論指摘のような限定解釈のもとに、被告人らの本件所為が国公法一一〇条一項一七号にあたらないとした原審の判断は、憲法の前記各規定の解釈を誤り、ひいては国公法の右規定の解釈を誤つたものであつて、検察官の所論は理由があり、原判決は破棄を免れない。また、右国公法の解釈の誤りは、原判決に影響を及ぼすことが明らかであり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものといわねばならない。

よつて、その余の論旨に対する判断を省略し、原判決を破棄し原審に差し戻すべきものである。

なお、以上の見解に立つて見れば、多数意見の指摘する事実誤認ないし審理不尽の違法の有無は、被告人らの刑事責任の存否に影響することがなく、したがつて判決に影響を及ぼすものではないと認められるから、これをもつて原判決破棄の理由とすることはできない。(石田和外 大隅健一郎 村上朝一 関根小郷 藤林益三 小川信雄 下田武三 岸盛一 天野武一 坂本吉勝)

(田中二郎 岩田誠 下村三郎 色川幸太郎は、退官のため署名押印することができない)

検察官の上告趣意

序説

一、本件公訴事実の要旨は「被告人上野四郎は全農林労働組合長崎県本部副執行委員長、同今村美千典は同組合長崎県本部統計本所分会執行委員長であるが、被告人等において農林省長崎統計調査事務所長早水信夫に対し、さきに同事務所の前所長松浦忠夫と全農林労働組合長崎県本部との間に取り決めていた旅費問題等一七項目にわたる所謂労働慣行につき、これが継続遵守方を求めていたところ、昭和三六年九月四日頃右早水所長より旅費の支給については同年九月一日から旅費法どおり支給する旨の通告を受けたので、これを撤回させるとともに前記労働慣行全般を確認遵守させる目的をもつて、同労働組合長崎県本部統計本所分会所属組合員であつて国家公務員である同事務所職員をして所属長の承認なくして就労を放棄し、同盟罷業を行わしめようと企て、被告人両名共謀のうえ、犯意を一にして同年一〇月一二日長崎市山里町三一二の二番地所在の同事務所において、国家公務員である前記本所分会組合員竹本不二夫等約五〇名に対し、被告人上野において「所長が要求を拒否したので坐りこみを実施する。最後まで団結して頑張り抜いてもらいたい」旨強調し、被告人今村において坐りこみの方法、注意事項等を指示して同事務所職員の就労放棄方を慫慂し、引続き翌一三日より同月二四日までの間(但し一五日、二二日を除く)連日にわたり坐りこみ中の同事務所職員に対し交々「団結を固め最後まで闘おう」「当局より一日長く頑張ろう」等と強調してその就業放棄の継続方を慫慂し、もつて国家公務員である農林省長崎統計調査事務所の職員に対し、同盟罷業の遂行をあおつたものである」というものである。

二、長崎地方裁判所は、弁護人らが公訴棄却の申立をなし、その理由として、1、本件公訴事実は、国家公務員法(以下国公法という)九八条五項、一一〇条一項一七号に違反するというのであるが、右の各規定は憲法二八条、一八条、二一条に違反する無効な規定である。2、本件公訴はILO条約八七号、一〇五号に違反する無効なものである。3、本件公訴は労働組合の組織の中において正式に決定せられた組合員の総意に基づく行為を処罰しようとするものであつて、民主的な労働組合そのものを否定するものである。従つて、本件公訴事実は何ら罪となるべきものでないから刑事訴訟法三三九条一項二号により本件公訴を棄却すべきである旨主張したのに対し、国公法九八条五項、一一〇条一項一七号の各規定は憲法二八条、一八条、二一条の各規定やILO八七号、一〇五号条約に違反するということはできず、また労働組合組織の中で適式に決定せられた事項であつても、その故に、直ちに国公法一一〇条一項一七号に該当しないものと断ずることもできないとして右の主張を排したうえ、「国公法一一〇条一項一七号の規定が本来争議行為=実行行為が不処罰とされているのに拘らず、その前段階的な共謀その他の行為を独立して処罰の対象としていることは、弁護人らの指摘するとおり、これまでの通常の刑罰体系からみて一見特殊かつ不合理の感がないわけでない。しかしながら、憲法上は、実行行為を処罰しない場合には常にその前段階的、周辺的行為も処罰の対象とならないとか、実行行為者に対する刑罰は常にその他の実行行為関与者のそれよりも重くなくてはならないとするような規制があるわけではなく、その合理性が是認される限り、右いずれを罰し、いずれを重しとするかは立法政策の問題であると解される。ところで、元来国家公務員は争議行為が禁止される――これが憲法違反でないことは既に述べたとおりである。――のであるから、そのような違法行為やそれによつて生ずる有形無形の社会的国家的損失を抑制阻止するため、その原動力となる行為をこそ禁止し処罰しようとすることは、理由のないことではない。ことに、国家公務員の場合争議行為を個々の参加者の労務放棄としてみればそれぞれの違法性は殆んど問題にならないのに対して、それが多数一体として組織的に行なわれる場合初めてその威力を発揮し、その反公共性、違法性も飛躍的に増大するものであることは明らかであつて、その功績と責任とは、主として、争議行為を企画し、立案し、教唆ないしせん動したいわば争議行為の指導的、推進的役割を演じた者にこそ帰属せしむべきものと考えられる。このような観点から、争議行為を企画、立案、教唆ないしせん動した者の違法性を個々の実行行為参加者のそれよりもはるかに重視し、これに可罰性を認めこれをもつて足りるとした国公法一一〇条一項一七号の規定は、十分にその合理性を首肯しうるところである。そしてまた、右規定にいう『あおり』行為は、既に定義したとおり、実質的に争議行為そのものとは法律上も事実上も別異のものとして認定、評価すべきものであり、また、なしうるものであつて、このことは、集団的組織的行動としての争議行為には通常教唆ないしせん動的な言動が随伴するとしても、あるいは、その者が争議行為構成員の一人であるとしても、なんら影響を受けるべきものでない。以上のとおりであるから、国公法一一〇条一項一七号の規定は、憲法三一条に違反するものということはできない」と判示し、なお本件坐りこみは違法行為――旅費法に違反する取扱方を要求すること――を目的として行なわれたものであり、その期間、規模ないし態様などに照らすと到底その手段としての相当性、許容性を認めることができないから刑法上正当行為として容認されるべきものでないとして、被告人両名を各罰金に処する有罪判決を言渡した。

三、右判決に対し、弁護人より同判決が国公法九八条五項、一一〇条一項一七号の規定は憲法一八条、二一条、二八条、三一条並びILO条約八七号、一〇五号に違反しないと判示したのは誤りであり、かつ国公法一一〇条一項一七号に規定する「あおり」の解釈適用を誤り事実誤認があるとして控訴し、検察官よりも量刑軽きに失し不当であるとして控訴した。

四、福岡高等裁判所第二刑事部は「国家公務員の争議行為をあおつたとして処罰されるのは、その争議行為等が政治目的のために行なわれるとか、暴力を伴うようなもの、または国民生活に重大な障害をもたらす具体的危険が明白であるものなどのように不当性をもつものについて、これをあおつた場合にまず限定しなければならないと解するのが相当である」「もともと、あおり行為は感情に対する刺激であるところから、その相手方に与える影響の程度範囲についてかなりの差異を生ずることは否めないところであるが、争議行為等に直接利害関係のない第三者、あるいは当該団体行動とは無関係の立場にある国家公務員が、その争議行為に介入しこれをあおるとか、当該争議行為等に密接な利害関係を有する国家公務員であつても、そのあおり行為が争議行為等の際に通常行なわれるような手段、方法、程度を超えて激越にわたり、非難可能性の微弱な争議行為等を前記の意味における不当性をもつものに進展させる可能性のある場合のように、あおり行為自体に社会的許容性を欠くときには、なおそのあおり行為の可罰性を認めざるをえない」として争議行為等とあおり行為の両面につき限定解釈をし、その限度で国公法九八条五項前段所定の行為をあおつた者を処罰する同法一一〇条一項一七号の規定は憲法一八条、二一条、二八条、三一条に違反しないとしたうえ、「本件争議行為は政治目的に出たりあるいは暴力を伴つたような、もともと労働法秩序外にあるものとは異なり、しかも、職種業態においても、また事務の停滞の点についても国政の停廃を生じ国民生活に重大な障害をもたらす具体的危険が明白であつたとは認められず、また被告人等の前記説示のごとき具体的行動は争議行為等に通常一般的に随伴し、これと不可分の関係にあるものと目せられるばかりか、その具体的言動が争議行為を上記意味における不当性をもつものまでに進展させるほどの激越なものであつたとも認めることはできないのであるから、これを国公法一一〇条一項一七号に該当するあおり行為であると認めることをえない」として、一審有罪判決を破棄し無罪の言渡をした。

五、しかしながら、原判決は以下詳論するとおり憲法一八条、二一条、二八条、三一条の解釈を誤り、かつ最高裁判所並びに高等裁判所の判例と相反する判断をし、さらに国公法一一〇条一項一七号の解釈適用を誤り本件争議行為の不当性及び被告人等の煽動行為等の社会的許容性の存否につき重大な事実の誤認をしたもので、それらはいずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであり、特に右の事実誤認については原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められるので、刑事訴訟法四〇五条、四一〇条、四一一条により原判決は破棄せらるべきものである。

以下その理由を述べる。

第一点原判決は、憲法二八条の解釈を誤り、かつ最高裁判所及び高等裁判所の判例に違反する。

一、原判決は、国公法一一〇条一項一七号の煽動行為等の解釈につき、

「国家公務員が右のように禁止された争議行為等をしたというだけでは刑罰は科せられないのであつて、なぜならそれが国法をもつて禁止するような行為であるといつても、このような単純な労働力の不提供という不作為は労働基本権の尊重から争議行為等に対する刑事制裁が緩和される方向に進んでいる労働規範の変遷に鑑み、刑罰を科すべきほどに著しく反社会性が強いとは評価されていないからである。

しかし、このような争議行為等であつても、なお国法上禁止され、その禁止が合理性をもつ以上、右はやはり法規範に反し正当な行為とはいえないのである。」

「争議行為等が政治目的のために行なわれとか、暴力を伴うときのように労働法秩序における保護の枠外にあるものについて、これをあおることが刑事責任を免れないことは論をまたないが、国家公務員といつても、その職務内容は多種多様であつて、国民生活に対する密着の度合、影響力には差異があるので、一般的にはその職務が国民生活に重大な影響をもつとはいえ、一時的に職務の停滞があつても、直ちに国民生活に重大な障害をもたらすおそれのない場合もあつて、このようなものについては争議行為等を禁止されているからといつても、これを特に非難すべきものとはいえないであろうし、このような行為をあおつても、労働法域における可罰性を論ずるうえからいえば、これに刑事制裁を科するものと解することは妥当を欠き、合理性に乏しい、従つて国家公務員の争議行為等をあおつたとして処罰されるのは、その争議行為等が政治目的のために行なわれるとか、暴力を伴うようなもの、または国民生活に重大な障害をもたらす具体的危険が明白であるもの、などのように不当性をもつものについて、これをあおつた場合にまず限定しなければならない。」

「争議行為等は労働者の組織的団体の威力を背景とする集団的統一体としての団体行動であつて、かかる行動をおこすについては、団体各機関における討議、説得、慫慂が行なわれるであろうし、また具体的な実行の場において統一体としての行動をとるために各種指導、統制が行なわれることが通例であつて、争議行為等を行うにあたつて団体行動を統一的に行なうために通常随伴するような行為は、むしろ右争議行為等と不可分であり、それ故にこそ、その企画指導統制のもとに行なわれた争議行為等が上記の意味における不当性をもつものであれば、これをあおつた行為の可罰性を肯定しなければならない。しかし、争議行為等の中でも特に非難可能性の微弱なものについては、通常一般の争議行為等に随伴し不可分的に存在すると認められるようなあおり行為をもつてこれを刺激することがあつても、このようなあおり行為を可罰的なものとはいえない。」

「あおり行為は感情に対する刺激であるところから、その相手方に与える影響の程度範囲についてかなりの差異を生ずることは否めないところであるが、争議行為等に直接利害関係のない第三者、あるいは当該団体行動とは無関係の立場にある国家公務員が、その争議行為等に介入しこれをあおるとか、当該争議行為等に密接な利害関係を有する国家公務員であつても、そのあおり行為が争議行為等の際に通常行なわれるような手段、方法、程度を超えて激越にわたり、非難可能性の微弱な争議行為等を前記の意味における不当性をもつものに進展させる可能性のある場合のように、あおり行為自体に社会的許容性を欠くときには、なおそのあおり行為の可罰性を認めざるをえない。

右のように制限的に解して、はじめて憲法一八条、二一条、二八条、三一条に違反しない。」

と判示している。

二、しかしながら、原判決の右判断は、左記理由によりその誤りであることが明らかである。

1 原判決は、国家公務員の職務は、直接、間接に国政の円滑な運営に影響するところ大きく、正常な職務遂行が行なわれず、政府の活動能率を低下させるときは、国民生活に重大な障害をもたらすことは疑いをいれない等の理由より国公法九八条五項が国家公務員の争議行為等を禁止しているのは、憲法二八条に違反するものではないとしながら、国家公務員の争議行為等の煽動行為等に刑罰を科する国公法一一〇条一項一七号は、労働基本権の行使との調和、均衡が保たれるよう解釈上考慮し、その内容が合理性をもち適正であると認められねばならず、そこにおのずから解釈上の限度があり、右の限度において同条項は、憲法二八条に違反しないと帰結する。

しかし、国公法一一〇条一項一七号はその文言上明らかなとおり、労働基本権尊重の建前から、たんに同盟罷業、怠業のような単純な不作為はもとより、その他の争議行為に参加したにすぎない者を処罰の対象とはしないという極めて周到な考慮をめぐらすかたわら、これら争議行為遂行の煽動行為者等だけを処罰することとしているのである。けだし、このような煽動行為等は違法な争議行為の原動力となり、またこれを誘発、助長する危険性を顕著に包蔵する行為であつて、その反社会性においては違法な争議の実行行為そのものより甚だしく大である。そして、国家公務員は国民全体の利益の維持増進をその職務とし、その職務の停廃は国民の生活全体の利益を害し国民の生活に重大な障害をもたらすものであることを考えた場合、かかる行為に刑事制裁を科することには十分な合理的理由が存するのである。

元来、労働基本権制限の程度は、労働基本権の保障と公共の福祉の要請とが適正な均衡を保つことを目的として決定さるべきであるが、具体的制限の程度を決定することは立法府の裁量権に属するものというべく、その制限の程度が著しく右の適正な均衡を破り、明らかに不合理であつて、立法府がその裁量権の範囲を逸脱したと認められるものでない限り、その判断は合憲、適法なものと解さるべきである(昭和四〇年七月一四日和教組専従休暇不承認処分取消請求事件最高裁大法廷判決、民集一九巻五号一一一九頁参照)。

かかる観点から見るとき、国公法一一〇条一項一七号の規定は、労働基本権の尊重と公共の福祉の要請との調和に配慮の跡がうかがわれ、両者が著しく均衡を失しているとは到底認められないので、原判決が同条項を制限的に解釈する限度において憲法二八条に違反しないとしたのは明らかに憲法二八条の解釈を誤つたものである。

この点につき、昭和四一年一〇月二六日の東京中郵事件最高裁大法廷判決(刑集二〇巻八号九〇一頁)も、地方公務員法六一条四号の趣旨につき、「一方で、これらの公務員の争議行為は公共の福祉の要請によつて禁止されるけれども、他方で、これらの公務員も勤労者であり、憲法によつて労働基本権が保障されているから、この要請と保障を適当に調整するために、単純に争議行為を行なつた者に対しては、民事制裁を課するにとどめ、積極的に争議行為を指導した者に限つて、さらに刑事制裁を科することにしたものと認められる。」として、同条項が労働基本権と公共の福祉との調和の上に作られていることを肯認しているのである。

2 原判決は、国家公務員といつても、その職務内容は、多種多様であつて、国民生活に対する密着の度合、影響力には差異があるので、一般的にはその職務が国民生活に重大な影響をもつとはいえ、一時的に職務の停滞があつても、直ちに国民生活に重大な障害をもたらすおそれのない場合もあるのに、すべての国家公務員の争議行為を一律に禁止し、その煽動行為等に刑罰を科すのは妥当性を欠き、合理性に乏しく、争議行為等が不当性をもつ場合に限定してはじめて憲法二八条に違反しないというのである。

しかし一般的に言つて、法の規制対象の中には種々程度の差があることは当然であつて、どの程度の範囲のものを同一規制の対象に包含せしめるかは、その程度の差が明らかに不合理と認められない限り、立法府の裁量に委ねられているところである。現に、三公社五現業の業務について見るに、その業務の停廃が国民生活に与える障害の程度は、各業種によつて相当の差異が認められるのであるが、中郵事件最高裁判決は、「いわゆる五現業および三公社の職員の行なう業務は、多かれ少なかれ、また、直接と間接との相違はあつても、等しく国民生活全体の利益と密接の関連を有するものであり、その業務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあることは疑いを入れない。」として、公共企業体等労働関係法一七条が三公社五現業の職員の争議行為を一律に禁止し、その違反に対して民事制裁を課することにしているのは憲法二八条に違反しない旨判示しているのである。同様に、国公法の適用を受ける非現業公務員の職務の停廃が国民の生活に対して及ぼす障害の程度はその職種により一様ではないが、いずれも公共的性格の強い職務であるから、これらを同一の規制対象の下におくことは当然というべく原判決が国公法一一〇条一項一七号を限定的に観することによつてはじめて憲法第二八条に違反しないものとすることは明らかに憲法二八条の解釈を誤つたものである。

3 原判決は、国家公務員は禁止された争議行為等をしたというだけでは刑罰は科せられない。しかしこのような争議行為であつてもなお国法上禁止され、その禁止が合理性をもつ以上、右はやはり法規に反し正当な行為とはいえない。しかも争議行為等をあおる行為は、国民全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらす事態に発展することがあり、かつ、かかる事態発生の原動力となるから、このような行為をなした者は、単なる争議行為の実行者より、それに対する積極性において一段と強いものがあり、従つて反社会性が著しいといわねばならない。かくて公共の福祉の要請からの巳むを得ない制約として、これをあおる者に対し刑罰をもつてのぞむことに必ずしも合理性がない訳ではないとしながらも、およそ争議行為等は、かかる行動をおこすについて、討議、説得、慫慂が行なわれ、争議行為等と不可分であるから、争議行為等の中でも特に非難可能性の微弱なものについては、通常一般の争議行為等に随伴し不可分的に存在すると認められるあおり行為をもつて可罰的なものとはいえない、と判示し、煽動行為等が争議行為に参加する一態様に過ぎないかの如く立論する。

しかしながら、組合員数名のような零細な労働組合においてはいざしらず、いやしくも相当数の組合員を擁し、幹部役員と称すべき機関を有する職員組合においては、その組織的団体である性質上、必然的に役員の指導により組合が運営されていることは、現にわれわれが日常見聞するところである。このことは、争議行為の遂行についても同様であつて、その実施に際しては、幹部間において、積極的能動分子を中心として討議、企画、決定、指令、説得、慫慂等の行為が行なわれ、さらに一般組合員に対しては企画、提案、討議、採択、指令、指示、指導、督励、慫慂等の方法によつて、幹部役員らが指揮命令の権能を果していることは、一般に見られる社会的事実である。これらの行為は、争議行為そのものとは社会通念上明らかに峻別し得るものである。

これに反し、一般の争議行為参加者は労働組合の一組織員として受動的立場で附和随行的に参加するものがほとんどであり、支部、分会等で討議される事実があつても、これら討議は要するに、上部の組合執行部からの争議企画を下達されこれに参加するよう指導督励されるのに対し、受動的被拘束者的立場で下部組合員として如何に対処するかを協議するにすぎないものである。

したがつて、原判決の前記判示は明らかに誤りである。

この点について、昭和四〇年一一月一六日の都教組事件東京高裁第六刑事部判決(高裁刑集一八巻七号七八四頁、下級審刑集七巻一一号一九九三頁)は、

「原判決は、争議行為を企画、立案することも争議行為について指令、指示することも、争議行為について説得激励することも職員が争議行為に参加する一態様に過ぎないとして、指令第三号の発出や被告人や幹部の行動を一斉休暇闘争に参加した二万数千人の組合員の行動と、これを同列において評価しようとしている。そして指令第三号も、指示激励も争議行為に通常随伴するものだ、というけれども、これは弁護人さえ指摘するとおり、そんな従属的なものではない。争議行為の原動力であり、その支柱である。闘争に参加した組合員一人一人を処罰しないで、その原動力、支柱となつた被告人らを処罰する合理的根拠は十分に存在するのである。

(中略)

畢竟原判決が争議行為に参加する一般組合員と、これを指導して争議行為を誘発、助成する原動力となる者との行動を全く同一視し、……争議行為の原動力となるその煽動等の行為に、争議行為に通常随伴する方法によるものと、一段と違法性の強いものがあるかの如く前提して、本件各被告人らの各所為を煽動行為に該当しないとしたことはすべて誤りである。」

と説示しており、原判決は、争議行為の実行行為と煽動行為等を同一視する点において、右都教組判決の判断に相反するものといわなければならない。

4 原判決は、前述のように公務員の争議行為の煽動行為者等を処罰することは、煽動行為者等を、処罰規定を欠く争議行為に参加する一態様に過ぎないかの如く目し、国公法一一〇条一項一七号を制限的に解しない限り、争議行為の実行行為者の可罰性を肯認せざるを得ないかの如く判示する。

しかし、実行行為の処罰規定を欠く故をもつて直ちに不可罰的と解するのは早計である。既述のごとく憲法二八条は労働基本権を保障しているが、同権利も公共の福祉の要請による制約を受けることは異論のないところであり、両者の均衡が著しく破られない限り、その制約違反に対し、民事制裁のみならず、刑事制裁を科することも憲法上許されるものと解される。中郵事件最高裁判決も、争議行為に刑事制裁を科することは必要最少限度に止むべきであり、ことに同盟罷業のような単純な不作為に刑事制裁を科することは特別に慎重でなければならないとするだけであつて、争議行為が憲法上不可罰的であるとは述べていないのである。

公務員の争議行為を刑罰をもつて禁止することの合憲性につき、昭和二八年四月八日の政令二〇一号事件最高裁大法廷判決(刑集七巻四号七七五頁)は、「国民の権利はすべて公共の福祉に反しない限りにおいて立法その他の国政の上で最大の尊重をすることを必要とするものであるから、憲法二八条が保障する勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利も公共の福祉のために制限を受けるのは、巳むを得ないところである。殊に国家公務員は、国民全体の奉仕者として(憲法一五条)公共のために勤務し、かつ職務の遂行に当つては全力を挙げてこれに専心しなければならない(国公法九六条一項)性質のものであるから、団結権団体交渉権等についても、一般の勤労者とは違つて特別の取扱を受けることがあるのは当然である。従来の労働組合法又は労働関係調整法において非現業官吏が争議行為を禁止され、又警察官等が労働組合結成権を認められなかつたのはこの故である。同じ理由により、本件政令二〇一号が公務員の争議行為を禁止したからとて、これを以て憲法二八条に違反するものということはできない。」と判示しているのである。原判決の前記判断は右大法廷判決に相反することは明らかである。

5 原判決は、国公法一一〇条一項一七号の処罰の対象となる煽動行為等は、争議行為等は、争議行為等が政治目的のために行なわれるとか、暴力を伴うようなもの、または国民生活に重大な障害をもたらす具体的危険が明白であるもの、などのように不当性をもつものについて、これをあおつた場合に先ず限定しなければならないと解するのが相当である旨判示している。

しかし、何をもつて争議行為の不当性の有無を判断するのか、その基準が甚だ不明確である。原判決は、不当性の存する争議行為の限界として三例を挙げているが、たとえば、国民生活に重大な障害をもたらす具体的危険が明白であるものというような場合は、具体的には判断に苦しまざるを得ないであろう。また、国公法一一〇条一項一七号は争議行為の煽動行為等を独立犯とし、争議行為の行なわれる前にこれを禁圧しようとするものであるが、争議行為遂行の前段階において、右に挙げたいずれかの場合に該当するか否かを判断することは困難な場合が多いものと思われる。したがつて、右の不当性の限界は、本来厳格性を要求される刑事法規の適用基準としては適当でない。

公務員の争議行為は中郵事件最高裁判決のいうところに従えば、それが一般的に国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあるため、一般的に禁止されているのである。それ故この禁止規定が合憲なる以上、これを担保するための罰則に違反すれば、現に生じた結果または生じたであろう結果の大小を問題とするまでもなくその違法性を認めざるを得ないのである。

結局同条項の煽動行為等を不当性のある争議行為の場合にのみ限定して解釈する原判決の見解は、実定法規の解釈の限界を逸脱し、新たな立法をするに等しく、到底正当な法解釈とは認められない。

6 原判決は、煽動行為等の処罰の対象について、これらの行為それ自体に社会的許容性を欠くときに、はじめてその行為の可罰性を認めざるを得ないとし、その具体的適用基準として、争議行為等に直接利害関係のない第三者、あるいは当該団体行動とは無関係の立場にある国家公務員が、その争議行為等に介入しこれをあおるとか、当該争議行為等に密接な利害関係を有する国家公務員であつても、そのあおり行為が争議行為等の際に通常行なわれるような手段、方法、程度を超えて激越にわたり、非難可能性の微弱な争議行為等を不当性をもつものに進展させる可能性のある場合のように、あおり行為自体に社会的許容性を欠くときに限ると判断している。

しかしながら、原判決のごとき煽動行為等の基準を設けること自体、なんら合理的根拠のない独自の見解であつて、誤りであるばかりでなく、さらに、右判断基準によつても、原判決のように、団体内部の者よりも、外部の者からの働きかけの方が社会的許容性を欠くというがごとき結論は生じえない。けだし、争議行為等の遂行に影響を及ぼすことにおいては、団体の内部の者と外部の者とで区別する理由がないからである。団体の内部の者と外部の者とにより、社会的許容性の存否に差異を認めることの誤りであることについては、都教組東京高裁判決が、「団体の構成員以外の第三者による煽動は構成員の煽動より違法性が強いというけれども、組織と無関係な第三者の行動はむしろ、その影響力、指導力に乏しいとさえ云える。団体の共同意思に基かない煽動についても同様である。争議行為の主体を法律的に限定し、その構成員による煽動と構成員以外の第三者による煽動とを区別すること、例えば都教組幹部による煽動と日教組あるいは総評幹部による煽動とを区別することもそれ程の意味のないこと……である。

また団体の構成員による煽動は、争議行為に、通常随伴する方法より一段と違法性の強い方法によらなければ、煽動にならないと解するならば、団体の構成員による争議行為の共謀、慫慂あるいはこれを企てる行為も同様に解すべき筋合となるが、争議行為の共謀、慫慂またこれを企てる行為で、争議行為に通常随伴する方法によるものと一段とそれより違法性の強いものと、なにを基準にして判定すべきか、疑いなきを得ないのである。

畢竟原判決が、争議行為に参加する一般組合員と、これを指導して、争議行為を誘発、助成する原動力となる者との行動を全く同一視し、団体の構成員自らが、その原動力となる場合と、第三者が原動力となる場合とを区別し、その違法性に強弱があるとし、争議行為の原動力なるその煽動行為に、争議行為に通常随伴する方法によるものと、一段と違法性の強いものとがあるかの如く前提して、本件被告人らの各所為を煽動行為に該当しないとしたことはすべて誤りである。」と説示しているが、まさに正しい見解というべきである。

7 以上論述した諸点よりして、原判決が国公法一一〇条一項一七号の処罰の対象となる煽動行為等は、煽動行為等がなされた争議行為が特に不当性をもつ場合に限るべきであるとし、あるいは、煽動行為等の可罰性については、これらの行為自体に社会的許容性を欠くときにのみ認めるべきであると判断している点は、憲法二八条の解釈を誤り、かつ、前掲政令二〇一号事件についての最高裁大法廷判決に違反することが明らかである。さらに、右判断は、同様の規定である地方公務員法六一条四号の解釈につき、前掲都教組事件について東京高裁判決が、公務員の職務の公共性が大であること、公務員の勤務条件は法律または条例により適正に保障されていること等の理由を挙げて地方公務員法六一条四号が憲法二八条に違反するものではない旨判示しているところと相反するものである。

右の憲法解釈の誤りおよび判例違反が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

第二点原判決は、憲法三一条の解釈を誤り、かつ高等裁判所の判例に違反する。

一、原判決は、「一般に争議行為は組織的に行なわれるもので、個々の公務員の労務放棄の面からのみでなく、集団的現象としての面から考察する必要があり、集団の持つ威力、その社会的、国家的効果という観点からすると、争議行為等をあおる行為は国民全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらす事態に発展することがあり、かつかかる事態発生の原動力となるから、このような行為をなした者は、単なる争議行為の実行者より、それに対する積極性において一段と強いものがあり、従つて反社会性が著しいといわねばならない。かくて公共の福祉からの要請からの巳むを得ない制約として、これをあおるものに対し刑罰をもつてのぞむことに必ずしも合理性がないわけではない。

けれども、適当な代償措置を講ずることによつて公益目的のために争議行為等を禁じたからといつて、すべてのあらゆる形態、程度の争議行為を前提として、またあおり行為のあらゆる態様、程度のものすべてについて、そのあおり行為をした者を処罰すべきものかについては、特にあおり行為が言論、文書等の表現活動に基礎をおくものであるうえ、問題が労働基本権に関するものである以上、労働基本権の行使との調和、均衡が保たれるよう解釈上考慮すべきことと、憲法三一条の趣旨からみて、当該刑罰規定の解釈によつて、その内容が合理性をもち適正であると認められねばならないことに鑑み、そこにおのずから解釈上の限度があることを認めざるを得ない。」として、国公法一一〇条一項一七号について、特に不当性をもつ争議行為であるか、あるいは、社会的許容性を欠く方法でなした煽動行為等だけが処罰の対象となると限定的に解釈して、はじめて憲法三一条に違反しないというのである。

二、しかしながら、

1 既述のごとく、争議行為等は、通常積極的能動分子による一般組合員への働きかけによつて惹起されるものであり、かような積極的能動分子は、争議行為に原動力を与える点において一般参加人よりも不当性、違法性が強くこれに刑事罰を科することは、十分な合理的根拠を有するものであつて、国公法一一〇条一項一七号はなんら憲法三一条に違反するものではない。

2 実行行為を処罰しないでその煽動行為等を処罰する立法例としては、道路交通法一一条に違反して行列が行なわれた場合、同法一二一条一項により実行行為者である単なる参加者は処罰されず、その指揮者だけが処罰され、また、売春防止法三条は売春行為を禁止しているが売春行為そのものに罰則を設けず、その六条、一一条等で売春の幇助的行為を処罰している。

これはいずれも、実行行為よりも指揮幇助等の行為を違法性の強いものとして刑罰をもつてこれを禁止しようとする立法趣旨と認められる。また、実行行為の有無を問わず煽動行為等を処罰する立法例としては、地方税法二一条等があり、決して異例ではない。したがつて、国家公務員法が違法な争議行為の原動力となる煽動行為等だけを、処罰することはなんら憲法三一条に違反するものではない。

もし原判決のいうがごとき煽動行為者等を処罰するについての制限解釈を是認するならば原判決のいう不当性の強い争議行為が行なわれた場合でも、その煽動行為者だけが処罰されることになるのであつて、原判決自ら自己の見解の矛盾であることを認めたことになるであろう。

三、この点に関し、前記都教組事件についての東京高裁判決は、「地方公務員法六一条四号が、争議行為の実行者を処罰しないで、これを共謀し、そそのかし、煽動した者、またはこれらの行為を企てた者を処罰するのは、争議行為の原動力となり、これを誘発、指導、助成する、その共謀者、慫慂者、煽動者あるいはこれを企てた者だけを処罰することによつて、このような集団的組織的な違法行為を禁遏し得ると考えたからである。違法行為が実行に移される前の段階において、その原動力となりこれを誘発、指導、助成する行為を禁遏することによつて、未然に違法行為の実現を防遏し得るし、争議行為が実行された場合においても、その原動力となり、これを誘発、指導、助成した者を処罰すれば、その違法行為を実行した者、本件について言えば四月二十三日の一斉休暇闘争に参加した二万四千人の教職員の一人一人を処罰する必要はないのである。

地方公務員法三七条一項において公務員の争議行為を禁止し、これを違法行為としながら、その実行者を処罰する規定のないことは明らかである。また従来の刑罰体系からみて、犯罪の実行行為を処罰しないで、その共謀や、教唆煽動のみを処罰することが例外的措置であることも所論指摘のとおりである。しかしながら、犯罪の実行行為そのものよりその共謀、教唆、煽動の方が可罰性が強いときは、実行行為を処罰しないで、その共謀、教唆、煽動のみを処罰することは少しも不合理ではない。通常の犯罪において犯罪の実行が最も可罰的評価の高いものであることは否定し得ない。したがつて可罰的評価の最も高い犯罪行為の実行を処罰しないで、その前段階における予備、陰謀、未遂を処罰したり、教唆、煽動を処罰することは不合理なこととも考えられる。しかしながら、法律をもつて禁止された争議行為という違法行為の実行は、個々の行為者の所為一つ一つを切り離してみたとき、それは可罰的価値を有しないのである。勿論その一つ一つの実行行為が集合して集団的違法行為となるとき、それは大きな反社会的違法行為となるけれども、その集団的違法行為の責任は、多衆を結合せしめて争議行為に動員した者、すなわちその原動力となつてこれを企画、立案、討議して動員指令を発した者にあるのである。したがつて、この中核、原動力となつた共謀者、教唆、煽動者或はその企画者を処罰すれば足りるのであつて、動員されて争議行為に参加した一人一人の実行行為は、最早処罰の必要がないのである。争議行為という組織的違法行為においては、その原動力となる組織指導者の共謀、教唆、煽動の所為と、これによつて争議行為に参加した個々の争議行為実行者の所為とは全くその可罰的評価を異にし、その前者を処罰することにより、後者は全くその処罰を必要としないのである。地方公務員法六一条四号は、少しも合理的根拠を欠くものでなく、なんら憲法三一条にも違背するものではない。」

と判示している。原判決の前記判示は、同様の規定である地方公務員法六一条四号の解釈につき示した右東京高裁判決の判断に相反するものといわなければならない。

右の憲法解釈の誤りおよび判例違反が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

第三点原判決は憲法一八条の解釈を誤り、かつ最高裁判所および高等裁判所の判例に違反する。

一、原判決は、「国家公務員の争議行為等を禁止することが必要な限度を超えないやむをえないものとして、その合理性が認められ、かつ、この禁止された争議行為等をあおつた者に対し刑事制裁が科せられることにも、制限解釈することによつて、その合理性を認め得る以上、刑の威嚇をもつて労働を強制するものとはいえない。」として、国公法一一〇条一項一七号について、特に不当性をもつ争議行為であるか、あるいは社会的許容性を欠く方法で為した煽動行為等だけが処罰の対象となると限定的に解して、はじめて憲法一八条に違反しないというのである。

二、しかしながら、既述のとおり、労働契約に違反して就労しなかつたという争議行為自体と争議行為等の煽動行為等とは明らかに区別し得るものであつて、国公法一一〇条一項一七号は後者を処罰対象としているが、前者を処罰するものではない。したがつて、同条項を前記のごとく限定的に解する原判決の判断は、その前提において誤つているものというべきである。

次に、労働者が労働契約に違反して就労しなかつたとの理由だけでこれを処罰することは、右条項の限定解釈によつてはじめて憲法一八条に違反しない旨の原判決の判断は、前掲の政令二〇一号事件最高裁大法廷判決および都教組事件東京高裁判決の各判断に相反するものである。

すなわち、右最高裁判決は、「公務員は政令二〇一号によりその二条一項に該当するいわゆる職場離脱を禁止せられたけれども、人格を無視してその意思に拘らず束縛する状態におかれるのではなく、所定の手続を経れば何時でも自由意思によつて、その雇傭関係を脱することもできるのである。それ故、所論のように同政令が憲法一八条にいわゆる奴隷的拘束を公務員に与え、その意に反して苦役を課するものであるということはできない。」

と判示し、

また、都教組事件東京高裁判決は、

「憲法の保障する苦役からの自由は、自由を拘束してこれに苦役を強制することを禁ずる趣旨と解すべきである。公務員は、その公務員たる地位にあると否とは、その自由であり、自ら公務員たる地位にある限り、自らが構成員である国又は地方公共団体の住民に対抗して、勤労不売の闘争を禁止されているに過ぎない。その結果、公務員が就労執務を余儀なくされても、それは公務員が公共の福祉を実現するための責務であつて、苦役からの自由を奪われるものと解することはできない。」と説示している。

したがつて、原判決の前記判示は憲法一八条の解釈を誤り、かつ右両判決と明らかに相反する判断をしたものといわなければならない。

右憲法解釈の誤りおよび判例違反が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

第四点原判決は憲法二一条の解釈を誤り、かつ、最高裁判所の判例に違反する。

一、原判決は、「国家公務員の争議行為等を禁止することが必要な限度を超えないやむを得ないものとして、その合理性が認められ、かつ、この禁止された争議行為等をあおつた者に対し刑事制裁が科せられることにも、制限解釈することによつて、その合理性を認め得る以上、右あおり行為は憲法の保障する言論、表現の自由を逸脱するものである。」として国公法一一〇条一項一七号について、特に不当性をもつ争議行為であるか、あるいは、社会的許容性を欠く方法で為した煽動行為等だけが処罰の対象となると限定的に解して、はじめて憲法二一条に違反しないというのである。

二、しかしながら、憲法二一条は表現の自由を保障するがこれは全く無制約なものではなく、公共の福祉の要請により制限されることのあるのは当然である。原判決は、煽動行為等を処罰するには、不当性をもつ争議行為であるか、あるいは、社会的許容性を欠く方法で煽動行為等をした場合に限る旨の限定解釈をしているが、かく解すべき理由はなんら存せず、かかる原判決の見解は左記各判例に相反するものである。

すなわち、昭和三〇年一一月三〇日の唐津市警察署員等に対する怠業的行為教唆事件最高裁大法廷判決(刑集九巻一二号二五四五頁)は、警察署員に対し怠業的行為をそそのかす行為を処罰する国公法一一〇条一項一七号、地方公務員法六一条四号の規定は憲法二一条に違反しないとし、

「憲法における言論の自由といえども個人の無制約な恣意のままに許されるものではなく、公共の福祉のために調整されなければならぬ場合があるのである。されば国家公務員に対し、その使用者としての公衆を代表する政府の活動能率を低下させるような怠業的行為の遂行をそそのかし、又は地方公務員に対し、その使用者としての住民を代表する地方公共団体の機関の活動能率を低下させるような怠業的行為をそそのかすことは、それぞれ国民全体若しくは住民全体に奉仕すべき国家公務員又は地方公務員の重大な職務の懈怠を慫慂し教唆するものであつて、公共の福祉に反し、憲法の保障する言論の自由の限界を逸脱するものである。」と判示している。

したがつて、原判決は憲法二一条の解釈を誤り、かつ、右判例に相反する判断をしたものというべく、右の憲法解釈の誤りおよび判例違反が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

第五点原判決は国公法一一〇条一項一七号の解釈適用を誤り、かつ重大な事実誤認をしたものである。

一、原判決は、国公法一一〇条一項一七号にいうあおるという概念は争議行為等を遂行させる目的で、文書もしくは図画または言動により、人に対しその行為を実行する決意を生ぜしめるような、またはすでに生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与えることをいうもと解すべきであるとし、本件争議の情況及びその中での被告人等の所為を認定して「被告人上野は県本部執行委員会においても坐りこみの実力をもつて九・一通告の撤回闘争を進めていくことを強く主張し多数意見もこれに同調しており、また被告人今村もこれに先立つ本所分会臨時大会において要求がいれられないとき実力行使を行なう執行部案を提出し、同案は可決されているのであつて、いずれも職場放棄の主導的立場にあり、所長と県本部との交渉が決裂した後の本所分会臨時大会において被告人上野は闘争方針を説明してその承認を求め、被告人今村は坐りこみの具体的方法や注意事項等を指示し、かくて組合員等が一〇月一三日からの職場放棄と坐りこみを行なうに至つたものであるうえ、被告人上野は現場最高責任者として指揮をとり被告人今村は本所分会全体を掌握し具体的指導をしており、被告人等はいずれもその争議の間において組合員に対し前示のとおり呼びかけを行なつているのであるから、被告人等は、まさに、共謀して国家公務員に対し同盟罷業を遂行させる目的でこれを実行する決意をさせるとともに、これを助長させせるような勢ある刺戟を与えたものと認められ、争議行為等をあおつたという概念範疇に一応あたる行為をしたものと認めざるをえない。」としながら、本件争議行為は不当性をもつものとは認められず、また被告人等のあおり行為も社会的許容性を欠くほどのものであつたと認められないから、国公法一一〇条一項一七号に該当するあおり行為であると認めることをえないと判示している。

二、しかしながら、原判決の右判断は国公法一一〇条一項一七号の解釈適用を誤り、かつ本件争議行為の不当性及び被告人等の煽動行為等の社会的許容性の存否につき証拠の取捨選択を誤り重大な事実誤認をしたものである。すなわち

1 国公法一一〇条一項一七号にいう「あおる」という概念は「煽動」と同義語であるが、その解釈としては昭和三七年二月二一日の地方税法違反事件最高裁大法廷判決(刑集一六巻二号一〇七頁)が「同法一二条一項にいう煽動とは、同条項に掲げた所為のいずれかを実行させる目的で、文書もしくは図面または言動によつて、他人に対し、その行為を実行する決意を生ぜしめるような、または既に生じている決意を助長させるような勢のある刺戟を与えることをいう」と判示したところにほぼ統一され、学説判例ともさしたる異論もないところであつて、原判決も一応この解釈に従つているかのようである。しかるに原判決は国公法一一〇条一項一七号の「あおり」行為には争議行為の不当性とか、あおり行為の社会的許容性の認められないことという限定解釈をすべきであるとし、本件被告人等の所為は結局同条項のあおりにあたらないとしたものであるが、争議行為のあおりについて右のように内容不明確な基準によつてその可罰性の存否を決めることの許されないことについては既に前記第一、二点において詳論したとおりであつて、原判決は国公法一一〇条一項一七号の「あおり」についての解釈適用を誤つたものといわなければならない。

2 原判決が被告人等の行為が「あおり」にあたらない理由として説示するところの、「本件争議行為は政治目的に出たり、あるいは暴力を伴つたような、もともと労働法秩序外にあるものとは異り、しかも、職種業態においても、また事務の停滞の点についても国政の停廃を生じ国民生活に重大な障害をもたらす具体的危険が明白であつたとは認められず、また被告人等の行動も争議行為を不当性をもつものまでに進展させるほどの激越なものであつたとも認められない」という判断は、採証法則に違反し証拠の取捨選択を誤り重大な事実を誤認した違法があり、この違法は判決に影響を及ぼすこと明らかであり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものである。

すなわち

(一) 被告人らが煽動行為をした争議行為の不当性について、

原判決は、「本件争議は、暴力を伴つたものではないし、また被告人上野の発言には本件坐りこみが争議行為ではなく、早水所長に対する抗議行為であるとする部分も認められるけれども、その実質は所長からの労働慣行の否定通告に対しあくまで従来の労働条件の維持を目的とする争議行為であつたことは明らかであつて、政治目的のみにかゝる争議行為であつたとは認め難い」(原判決書一六丁)と判示したが、右は次の二点において重大な事実誤認の違法を犯した。

(1) 本件争議行為は、その手段において不当である。

原判決のいう暴力の行使の点については、いわゆる対人的有形力の行使こそないが、証人岡本猛雄の証言、同人に対する検察官調書(昭和三六年一一月二四日付)及び証拠物たる写真帳(符号55号56号)同ステッカー(符号61号)等の存在に原判決認定部分を加えると、「被告人上野は、本件坐り込み開始日の翌一四日には岡本庶務課長の度重なる制止にも拘らず、組合員数名に下命し、これらと意思相通じ、庁舎内外板壁や、柱、窓、机、書庫棚等に約二〇〇枚以上のビラ貼りを強行し、これを右岡本から次々と原状回復され、当日は己むなくこれを中止したものの、被告人上野は更に、意思を継続して、翌一五日曜日に管理者の明白なる意思に反し約三〇〇枚ものビラを前示場所、器物等に貼りつけたものであり、これらのビラは容易に剥ぎ取り難く、争議行為終了後である二五日まで一〇日間の長きに亘つて放置せざるを得なかつたものである。」という事実が容易に認められる。

このような行為の結果、貼られたビラの文言とも相俟つて、公務所としての体面が甚だしく汚損され、器物の使用を著しく阻害された事実が認められる。

本件においては、右のごとき被告人の所為が訴因として掲記されず、また必ずしも重要な争点事項とされなかつたため、未だこの点に関する審理は必ずしも十分ではないが、建造物損壊若しくは数人共同して為せる「暴力行為等処罰ニ関スル法律違反」の疑が強度に存する。(昭和四三年一月一八日最高裁判所第一小法廷決定被告人山岸与四郎外建造物侵入等各被告事件参照)そして、右は少くとも原判決のいう争議行為の不当性の存在について十分なる積極認定資料であるのに、原判決は漫然これを看過し、「本件争議行為は暴力を伴つたものではない。」と抽象的、形式的に速断し不当性なしとしたのは、採証法則を誤つた結果、重大な事実を誤認したものといわねばならない。

(2) 本件争議行為は、その目的において不当である。

前掲各証拠をさらに検討すれば、被告人らの煽動した争議行為は、当初の旅費支給に関する慣行(此の慣行の違法性については後述)を維持するという要求から変貌し、遂には「所長の事務所運営の方針態度を問題とする」というように一転した。これは既に政治的、反権力斗争的色彩を帯びたものであるといわねばならない。

被告人上野が本件争議行為を「争議行為ではなく、抗議行為に過ぎない。」と強弁して煽動したり、前記ビラの内容が「反動政治の手先早水所長をたゝけ」「職場民主化を阻む所長独裁をつき破ろう」「権利剥奪の魔手をたたつ切れ」「所長の独裁を破り明るい職場を守ろう」などという激しい文言であつたり、また、たとえば一〇月一七日における所長交渉に当つて、被告人らが全農林とは全く無関係の公務員共斗会議(全司法、全税関、全港建、全労働、市従組、高教組、各一、二名)の代表者を所長室に入れ支援させ、剰つさえ、一部の者に悪罵を放たせるなどという非違を敢えてさせている事実などから看取できることは、本件争議行為が、単に、勤務条件改善のためのものにとどまらず、その目的において多分に政治的斗争的色彩をもつていた事実を容易に認め得るものである。

原判決はこの点においても、本件争議行為に存した不当性を看過して、重大な事実を誤認したといわねばならない。

(3) 本件争議行為は違法行為を目的としたものである。

原判決は、第一審判決が「本件争議が早水所長に右通告を撤回させること、即ち旅費法に違反する取扱方を要求することにあつたことが明らかであるから本件坐り込みは違法行為を目的として行なわれたものであるとの評価は拭い去ることはできない。」とまさに正当に評価、認定した部分に殊更なる批判を加え、多くの事実を誤認し、推測を混えて事実を見誤る一方、明白、かつ、厳として存する重大なる事実を看過した。すなわち原判決は、

「右判示中労働慣行(14)項の趣旨が旅費法に違反する取扱を要求するものと解すべきかについては、なお検討すべき余地がある。もともと旅費の問題は昭和三二年四月一日から施行された同年法律第一五四号一般職の職員の給与に関する法律の一部を改正する法律による国家公務員の俸給表改訂に伴い同法附則第二八項により旅費法の一部が改正されて、旅費法改正前は二等旅費適用資格者であつた五級職以上七級職以下の者及び改正時二等旅費適用資格者となるべき者が新俸給表により七等級に格付けされたため三等旅費の支給があるにとどまつたので、その結果の不合理が指摘されて、中央で農林省と全農林省労働組合との間で交渉が重ねられ、昭和三二年一〇月三等旅費適用者にも運用で二等旅費に近い金額を支給するよう取扱うことの了解に対し、各地方でもこれにならい、長崎統計調査事務所においても、当時の松浦所長と全農林長崎県本部との間に前記労働慣行(14)項のとおりのとりきめがなされて運用されてきたものであることは原判示のとおりである。しかも右旅費法の一部改正を含む前記給与法の改正法律が成立した際、右改正旅費法中現行より不利益となる部分については十分考慮することの国会の附帯決議もあるところであつて、右とりきめは旅費法の運用において違法とならない範囲で弾力的に取扱う趣旨であることは極めて明白であり、このようなとりきめを旅費法違反の事項を定めたものとみるのは、本来適正な法の執行者であるべき行政庁の農林省自らが法律違反のとりきめをしたと断ずることとなり実情に合わない。そして本件労働慣行(14)項の文言と中央交渉の結果に現われている文言とを対比するときは、後者は運用で二等旅費に近い金額を支給するよう取扱うというに対し、前者では運用面でその差額を支給するとあつて、必ずしも同一文言ではなく、前者の方が二等旅費と同額を支給すると結論づけられやすく、旅費法違反を正面きつて実施するような態にみえるけれども、その趣旨は必ずしも中央交渉の結果を出るものとは認められず、旅費法違反のとりきめであると断ずるをえない。もつとも運用によるという表現はとりきめ自体にあいまいさを残し、実質的にも法律違反の取扱いに至る危険もあつて、このようなとりきめを労使間の文書にしておくことが適当かどうかは問題であり、本件争議の収拾の際にも当局側の結論では文書からこの条項をはずし、この問題については、なお組合側と協議を重ねることとしていたものであり、組合側でもこれを了承していたほどである。そしてその後この旅費問題について当局と組合側とで格別交渉がなされたことについても、また従来の旅費支給要領と異つた取扱いがなされたことについても、これを明確にすべき証拠は見当らず、むしろ記録上では特に前記争議収拾の際の確認書等を参酌すると、その後のこの問題についての取扱いは従前のとおりであつたと思えるふしがうかがえる。つまり、結果からみても旅費支給に関しては従来の取扱いを改める要がない状況にあつたのではないかと推測され、農林省自体もこのような取扱いの法規違反性を特に考慮していなかつたとさえ考えられるのである。従つて本件旅費支給に関する所長の通告に対し、それが従来の旅費支給の取扱いを変更するものとして交渉の対象とし、交渉がまとまらず争議行為によりこれまでの勤務条件を維持せんとしたことをもつて直ちに法律違反の要求をするものとして違法なものであると断ずるをえない。」(原判決書一六丁裏乃至一八丁)

と判示する。

しかしながら、次の諸事実に徴すると本件旅費支給に関する慣行は明らかに旅費法に違反するものである。

(イ) 本件旅費支給に関する慣行の運用実態

この点に関し、第一審判決挙示の証拠を仔細に検討すると、多くの弁護人申請証人は、旅費慣行の実態は二等旅費受給資格しかない公務員の旅行に際しては、当局側の運用によつて一等旅費との差額を支給するいうことであるが、運用の具体的方法については組合側は関係しないのである旨極めて要領を得ない証言に終始し、僅かに一部の証人が、近距離旅行の場合は、一泊を、遠距離旅行の場合は二泊以上を、泊日数を加算し、その結果余剰を生じた分をもつて、前記差額分に充当する慣行であつたと証言する。

旅費は、旅費法第一条の規定を引用するまでもなく、「公務の円滑な運営に資するとともに国費の適正な支出を図ることを目的とする。」ものであつて、通常は同法一六条以下の諸規定に従い、旅程と旅行目的地における業務の内容に従つた滞在日数とによつて、適正に運用すべきものである。

実費弁償を本体とする旅費であつても一面有する給与的性格を全く否定し去ることはできないが、前記のごとき旅費支給に関する慣行が違法であることは、例えば正常の旅行に際し、当該旅行者の格段の努力により、偶々旅行日程を一日早めて帰庁できた場合に旅費の返戻までは敢えて求めないとする行政慣行とは全く同日には論じ得ない隔絶した強度の違法性があるのである。

前記岡本猛雄証人の証言中には、このような違法な慣行の運用は必然的に他人名義を使用したり、から出張等の事態を生ずるというのである。右証言内容はそれ自体抽象的証言ではあるが、犯罪の疑すら抱かせるものであつて、本件旅費慣行の実態が、全記録に徴し、必ずしも具体的に明白に為されていないのも慣行の実態が犯罪行為になり兼ねない程、違法性が強度のものであつたため、証言が具体化し得なかつたからであると認められるのである。

(ロ) 本件旅費慣行が中央労使間において了解事項とされていたか否か。

この点に関し、証人江田虎臣、同佐田健裕、同田上弘、同河口秀夫等は恰も中央労使間に、右の如き慣行が了解事項として成立した結果、その線に沿つて長崎統計事務所においても、本件旅費の慣行が実施されたものであるかの如く証言する。

しかしながら、中央交渉に直接参加し、比較的客観性を持つと認められる江田証人の原審及び第一審における証言を総合しても、その趣旨は極めて曖昧であり、漸く、通称家治通達と呼ばれているもの、及び組合の連絡四十六号と称するものの本旨が昭和三一年五月一日の旅費法改正(これは二等旅費支給の標準を引上げること自体が改正の本旨であつて既得権そのものを認める余地のないものであつた)及び、昭和三二年六月一日の改正(この改正に当つて同時に給与法も改正されたことに伴つて、一部に新たに不利益を蒙るものを見るに至つたので、国会において附帯決議がなされた)を通じ既得権者の保護を目的とするものであつて、これは既得権という事の性質上、基準に達する昇任までの期間という暫定的性格のものであつたということが理解できる丈である。

而も家治通達、連絡四十六号のいずれも現存しないというのである。

ところが、農林省当局側の交渉当事者であつた家治清一は原審において本件のごとき旅費支給に関する違法な運用事項が了解に達したことはないと断言し、勿論その趣旨の通達を出したこともない旨、かさねて証言しているのであり、農林省統計調査部管理班長角桂策証人も旅費の運用について中央交渉なるものはないと同様に断言しているのである。

以上を見ても此のような了解事項の成立する余地がなかつたことは明らかである。

原審において取調べた昭和三一年六月四日付の農林新聞の記事も何ら右のごとき了解事項を裏づけるものではない。何故なら右記事の主要部分は、旅費法二六条により、最終的には各庁の長が大蔵大臣と協議して定めるとされている特殊な形態の旅費、すなわち日額旅費改定の問題に関するものであつて、右は本件旅費慣行の問題とは全く別の分野に属する異質のものであるからである。

そして、右新聞には僅かに、旅費法運用についての当局側回答なるものが引用されているが、その正確性についての担保は何一つないのみならず、右記事の内容は飽くまで「非公式回答」との前提を自ら認め、加えて「六級職(六級職以下四級職以上の意か)のアンバランスは判るが、実行上これをなおすとは云えない。」と明らかに昭和三一年五月一日の法改正の趣旨を踏まえた回答になつておるのである。これに続く記事の「しかし、足を出さない様考慮し、特別に違法とみなされないものについては了承する。」という部分も、飽くまで合法の範囲内での当然の行政運用上の方針を示すものであることが漸く了承されているに過ぎない。原審において取調べられた全農林第七回定期大会の議事録、或いは全農林第五回中央委員会経過報告の内容も、前記農林新聞掲載の記事内容を超えるものではなく、一見これを超えて本件旅費慣行の中央妥結がなされたかの如き記載は、唐突に過ぎ、組合活動を過大評価せんがための作為的文言であり、その正確性は全くないものといわねばならない。

なお、昭和三二年六月一日旅費法改正の際なされた国会の附帯決議にもとづく各省内の運用通達は概ね既得権者である旅行者が係長級以上の用務をもつて旅行する場合で二等(現行一等)の運賃によらなければ公務上支障を来たす場合に限るという極めて限定的のものであつて、右国会の附帯決議及びそれに基づく通達の趣旨は、原審認定の如き、旅費支給の慣行を認めた趣旨ではないことが明白である。

原審が「右とりきめは旅費法の運用において違法とならない範囲で弾力的に取扱う趣旨であることは極めて明白であり、此のようなとりきめを旅費法違反の事項を定めたものとみるのは、本来適正な法の執行者であるべき行政庁の農林省自らが法律違反のとりきめをしたと断ずることになる」と判示したのは、前提たる中央交渉の成立乃至は交渉内容等の事実につき重大な誤認をなしたことに基づく、甚だしい謬言と云わねばならない。

本件旅費支払に関する慣行が中央において妥結され、それにもとづいて各地方で慣行化された事実があり得ないことは、前記角桂策の検察官に対する調書(昭和三六年一二月二三日付)記載の「岩手のように二等旅費を貰う人がその五パーセントを積立てておいて、三等旅費しか貰えない人にその金で保障するという方法なら是認されると思う。長崎以外の土地で本件のような慣行があるかないか我々の方では実態はつかめない。」という供述や、証拠物たる第七回委員会議事録(符号9号)には組合の内部においてすら、「統計で労働慣行で斗つているが、食糧は必ずしも確立していない。」「前松浦所長の時慣行をやつていたが当時は九州の中でも一歩先んじていた。」「合法的な見解を所長は云つていると思う。既得権だけで斗うことは無理がある。理論的に筋を通すべきだ」という発言部分さえも認められることによつてもら明かである。

畢竟、旅費慣行なるものは一地方である長崎統計事務所に極めて特異な形で行政紀律の弛緩の間隙を縫つて発生残存したものであり、被告人らは、昭和三一年五月一日旅費法改正当時仮にその主張のごとき旅費慣行の中央交渉なるものがあつたとしても、それより約四年半を経過した本件当時には右慣行が、暫定的性格のものである当然の結果として、違法である事実は熟知していたことが明らかであるが、それはさておき、本来、此のような違法な旅費支給の慣行が中央交渉で妥結される筈がないことは既に縷説したとおりである。

(ハ) 本件争議行為収拾後の旅費慣行取扱の実態

証人早水信夫の証言及び同人の検察官に対する調書(昭和三六年一一月二三日付)の記載によれば争議行為収拾に際し、「旅費問題は違法行為だから、そういう取りきめはやめようということにして、文書等も勿論抹殺するということを組合も了解し、結局旅費の項目だけを慣行から外すことが決つた」というのであり、前記岡本猛雄の検察官に対する調書の記載によれば、「労働慣行について、旅費の件は(争議収拾後)旅費法通り施行しています。」

と明言しておるところである。

原審判決はこれら明白なる事実に一顧だに与えず推測に謬見を重ねて、事実と全く相反する認定をしたものであつて、重大な事実誤認を犯したといわねばならない。

いうまでもなく、本件旅費の慣行が、本件争議当時、違法なるものであつたか否か、という問題は客観的に確定さるべき性格のものである。この点については、証拠物たる早水所長作成の「労働慣行に対する所見」(符号(19)号)の第一四項において明確且つ定言的にその違法なる事実を指摘しているのである。

原判決は之に反し、「本件旅費慣行について、農林省自体が法規違反性を考慮していなかつたとさえ考えられる」と言及していることは驚くべき偏見であり、謬見であると同時に、前述のごとく、少くとも日時経過による客観情勢の変化、すなわち不利益取扱者が消失する結果、慣行自体その存在理由を全く喪失するという客観的事実を無視することによつて生じた誤りと云わねばならない。

原判決が前記のごとき早水所長の意思表明は、行政庁の意思とするに足らず、例えば会計検査院よりその非違を指摘され、或は関係者が刑事罰を科せられることなどを俟つてはじめて農林本省において、違法の宣言的意思表示をしなければならず、それがなされない限り、当事者の主観的意図さえ違法なりとの認識がない以上、右慣行のごときものでも、合法であるとの見解なのであろうか、その非なることは余りにも明白であるが故に原判示の意とするところの判断に苦しむものである。

ともあれ、本件争議行為は、まさに正当に第一審が判示したとおり旅費法に違反して旅費を支給すべしとする違法行為を目的としたものであつたことは、何人も否定し得ないところであり、原審が示した争議行為の不当性の基準を著しく逸脱しているといわねばならない。

原判決の犯した右の点に関する事実誤認の違法はまことに重大である。

(4) 本件争議行為はその期間、規模、態様について不当である。

原判決は、「本件争議行為は可成り長い期間に及んでいるとしても、その期間の点も必要以上の過度なものとして不当性をおびるものと解するのは相当でない。」(原判決書二二丁)と判示するが、苟しくも国の行政事務に従事する国家公務員が、一〇日間もの長期間に亘つてなした職場の全面的放棄による争議行為が、それ自体何故に不当性をおびるものでないのか、原判決はこの点につき、何ら具体的判断を示さず、まことに卒然たるものであつて、その判断に苦しむのであるが、次の諸事実に徴すると、本件のごとき長期間の争議行為は著しく長期であつて、不当性を帯びることは当然のことであると認められる。

(イ) 本件争議行為は、原判示認定のとおり前半の期間は正面玄関前の坐り込みであり、後半の期間は裏庭での坐り込みであるが、いずれも管理者の再三に亘る職場復帰命令を無視して行なわれ、裏庭での坐り込みのごときは、大型のテントを庁舎管理者である岡本庶務課長の明示の撤去要求を無視して、設置し、同所を不当に占拠する形で行なわれたものである。

(ロ) 証人伊藤文吉の証言によれば、「自分は全労働長崎支部書記長であつたが、県国共斗の人達、すなわち全税関、全司法所属の組合員ら多数と坐り込みの全期間を通じ、全農林長崎統計事務所組合員の坐り込みを支援し、坐り込みに参加した。自分も日時は記憶ないが、正面玄関に全労働の組合員約四名と坐り込んだ。」というのであり、証人中川光雄の証言によれば、「一九日午後三時半頃、今村被告人が、きようは公務員共斗のみなさんから応援を受けておりますが、ただ今から代表のかたのあいさつがありますのでこれを受けますと云つて、公務員共斗のあいさつを受けさせて紹介しておりました。」というのであり、証人川上嶺男の証言によれば、「一七日午前八時四五分今村分会長が、本日も今から坐り込みを行う。本日は国公共斗の労組の方が三〇名来て、昨日までの五〇名から八〇名にふくれあがるからみなさんもがんばつて下さい。とげきれいし、午後〇時四〇分頃四人の男を今村分会長が紹介していた」というのである。

以上の各証言に前掲写真帳を仔細に検討すれば、本件坐り込みは、被告人らが長崎県統計事務所々属の組合員のみになさせたものではなく、坐り込みの全期間を通じ、第三者たる国家公務員共斗会議所属の、云わば本件争議の目的とは全く無縁の者達の多数の参加により、著しく歪曲され、不純な形で坐り込みが為されていることを極めて明白に認めることができるのである。

原判決は単に一〇日間の坐り込みは必ずしも不当性を帯びないというが、右は前記のごとき前提事実に全く眼を覆い、事実を看過して不当性を否定したものであつて重大な事実誤認の違法を犯したものである。

以上、縷説した点よりすれば、そのいずれの一つをもつてしても、本件争議行為の不当性を示すに十分であるが、これを綜合判断すれば、本件争議行為の不当性は原判決のいうごとく「もともと労働法秩序外にあるものとは異る」などという安易な観点は全く誤りであり、本件争議行為が極めて強度の不当性を帯びている事実を余すところなく示しているものというべきであり、原判決の本件争議行為の不当性に関する認定は、証拠に基づかざる違法なものであつて、その違法はまことに重大である。

(二) 被告人らの為した煽動行為等の社会的許容性について

原判決は「被告人等の前記説示のごとき具体的行動は争議行為等に通常一般的に随伴しこれと不可分の関係にあるものと目せられるばかりか、その具体的言動が争議行為を上記意味における不当性をもつものまでに進展させるほどの激越なものであつたとも認めることはできないのであるから、これを国公法一一〇条一項一七号に該当するあおり行為であると認めることをえないことは、すでに弁護人等の控訴趣意第一点において説示した同号の解釈として示したところに照し明らかである。」(原判決書二二丁裏)と判示する。

しかしながら、右判示は次の事実を看過し、重大な事実を誤認したものである。

(1) 本件争議行為に介入した第三者、部外者の存在について

本件争議行為になした被告人らの煽動行為等は直接争議行為等に利害関係のない第三者、あるいは当該団体行動とは無関係の立場にある公務員が、本件争議行為に甚だしく介入してこれをあおつていることは、前叙二の2の(一)の(2)及び二の2の(一)の(4)の(ロ)に詳論したとおりである。

しかしのみならず、証拠物たる「録音テープ」(符号38の2)には、一〇月一八日県評(県総評議会)滝田某(氏名は必ずも正確には聞き取れない。)が明白なるあおり行為の演説を約七分間に亘つてなしており、甚だしきは全くの部外者である日本共産党員福岡醇次郎なるものが約五分間に亘り激越なあおり行為の演説をしておるのであつて、被告人両名は右の第三者らを坐り込みの組合員や支援部外者にこれを紹介するなどして、その介入を容易ならしめていることが明らかである。

さらに、前述川上嶺男の証言によると、「一四日丁度一二時頃マツオという市会議員が、挨拶をし、一二時五分直接上野被告人がマツオから受取つて、今から庁舎内のビラ貼りを行うといつていた」というのであつて、少くとも公務員出身者であるとは認められない松尾市会議員なるものが当日約五分間に亘つて同様あおり行為をしたことが明らかである。これらの諸事実に徴すると本件争議期間の全期間を通じ本件争議行為に介入した第三者、部外者は多数に数えられることが明らかであり、被告人上野は現場最高責任者として指揮をとり、被告人今村は本所分会全体を掌握し具体的指導をしており、前記のごとき部外者、第三者の介入が被告人両名の了解なしには到底許されない実情にあつたことが容易に認められるから、本件被告人らのあおり行為は、原判決が自ら定立したあおり行為自体の社会的許容性の基準からいつても、これをはるかに逸脱し、その可罰性を認めざるを得ないものである。

(2) 被告人らのあおり行為自体の激越性について

本件被告人らのあおり行為等は争議行為等の際に通常行われるような手段、方法、程度を超えて激越にわたつているものである。この事実は既に二の2の(一)の(2)に詳述したような犯罪行為とも目される手段、方法で激越な文言を記載したビラを庁舎内外に貼りめぐらしたり、又二の2の(一)の(4)の(ロ)に詳述したとおり坐り込みの組合員に部外者たるオルグを多数支援させるなど、そのあおり行為は、最早、争議行為等に一般的に随伴し、これと不可分の関係にあるものとは到底目し得ないばかりか、被告人らの言動はまさに争議行為を不当性をもつものまでに進展させるほどの激越なものであつたことが極めて明白である。

原判決は、国公法一一〇条一項一七号の解釈について、自ら立法者のごとき特異な基準を定立しながら、右基準の有無についての事実認定に際しては、必ずしも当事者の主要争点事項とされていなかつたことに眩惑されたためか、関係証拠により、これを認定するに十分なる重要な事実を漫然看過し、本件争議行為の不当性、被告人らの煽動行為等の社会的許容性の逸脱という厳として存する事実を誤認したことが極めて明らかである。

以上述べたように原判決は憲法一八条、二一条、二八条、三一条の解釈を誤り、かつ、最高裁判所ならびに高等裁判所の諸判例に相反し、さらに、国家公務員法の解釈適用を誤り、なおこれを破棄しなければ著しく正義に反すると認められる重大な事実誤認があり、これらがいずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れないものと思料する。       以上

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